東京2020で銀メダルを獲得した五十嵐カノア選手
2019年にはチャンピオンシップツアーバリでの第3戦「Corona Bali Protected」にてアジア人初の優勝をかっざったこともあり、世界的にも注目を集めています。
さらにカノア選手は5か国の言語を話すことができたり、学歴も異例のハーバードと文武両道。
整ったルックスと運動神経、語学力と完璧ともいえるハイスペックを誇ります。
今回はそんなカノア選手がいかにして今に至ったのか、生い立ちや両親について調査ました!
五十嵐カノアの生い立ちがすごい!
ここからはカノア選手の生い立ちについて時系列で詳しく見て行きたいと思います。
五十嵐カノア幼少期
(写真はカノア選手3歳と父勉さんの写真)
カノア選手は1997年10月1日に日本人の両親の元、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて誕生しました。
カノアという名前の由来は、ハワイの言葉で『自由』を表しており、3歳のころ父親の影響を受けてサーフィンを始めます。
父「英語も堪能ではなかったので仕事も限られている。日本のファッション相手だったので仕事は不安定。カノアも毎日サーフィンしたいと言って来たけど、ハリウッドだと毎日サーフィンはできない。そういう状況だったので2002年に今までやってきた事を全てやめて海の近くのハンティントンに引っ越し、また1からの再スタートを決意したんです。移ったのはカノア4歳半、キアヌ出産2目目の時でした。日本食ブームもあって、日本食レストランで働いてから仕事も徐々に安定して来ました。この引っ越しから流れが良い方に変わりましたね。」
WAVALより
毎日サーフィンができる環境へ身を置く為、仕事を全て辞めて海の近くのハンティントンに引っ越す決断をした父の勉さん。
ここからカノア選手のサーファーとしての人生が始まったようです。
そして6歳のころ、ローカルコンテスト「Kids For Clean Waves」でデビューし優勝、注目を集めました。
五十嵐カノア小・中学生時代
(写真はNSSAで表彰される様子)
9歳のころには才能を見出されUSAチームに入ります。
11歳には、NSSA(National Scholastic Surfing Association、全米アマチュアサーフィン連盟)主催の大会で、トム・カレンと並ぶ1シーズン中の最多勝タイとなる30勝という驚異的な記録を打ち立て全米タイトルを獲得しました。
その後も、12歳でメインスポンサーである『Quiksilver』と契約し、NSSAからプロのASP(現WSL)に移行すると、13歳ではプロジュニアからスタートし、21歳以下のプロジュニア『DNAエナジープロ』初優勝を果たしました。
「ビーチの天才少年」といわれたカノア選手は、歴史を覆すような実績を出していきます。
14歳では『USA Championship U-18』にて史上最年少で優勝
その後も2015年アメリカのジュニアツアーで年間1位を獲得し、快挙を成し遂げ続けました。
五十嵐カノア高校時代~現在
19歳のころには好成績を重ねて年間7位の成績を収め、日本人として初めて、2016年のチャンピオンシップツアー参戦資格を獲得。
史上最年少でありアジア人で初めて、プロサーフィンの世界最高峰、WSL チャンピオンシップツアー(CT)に参戦すると最終戦のビラボンパイプマスターズで準優勝を果たしました。
2019年のチャンピオンシップツアー、バリでの第3戦「Corona Bali Protected」で自身初、そしてアジア人初の優勝を飾ります。
大会名は聞きなれないものの、カノア選手は数々のタイトルを獲得し、『史上最年少』『日本人初』『アジア人初』を連発したのです。
2022年3月には、世界ランキング1位となり、ビーチの天才少年からサーフィン界の貴公子と呼ばれるようになりました。
五十嵐カノアの両親の職業
カノア選手の実績は凄まじく、サーフィン界の貴公子を育てた両親にまで注目が集まっています。
両親について詳しく見ていきたいと思います。
五十嵐カノアの父
- 名前:五十嵐勉(いがらし つとむ)
- 生年月日:1964年6月26日
- 出身:東京都
- 職業:スポーツトレーナー育成会社、フォトグラファー、デザイナー
2022年には、シャープアイ・サーフボードジャパンの代表にも就任するほどサーフィン好きでサーフィンに生きています。
自身も中学生時代からサーフィンにはまり、サーファーとしても活躍していました。
渡米したころは民博の経営を行ったり、リーマンショックで仕事がなくなった際には、日本食ブームにのり飲食店で働いていたこともあったようです。
米後、僕らはフィットネス関連のビジネスを軌道に乗せたり、日本人旅行者を対象にしたサービスを提供する仕事をしたりして生計を立てていました。でもリーマンショックで仕事を失って……。クルマのローンを払えなくなってしまったこともありました。
文春オンラインより
アメリカでの生活は教育費の他にも遠征費などサーフィンにかかるお金も多く、とても大変な生活をしていたようですが、苦労の甲斐があって今のカノアさんがいることがわかりますね、
五十嵐カノアの母
- 名前:五十嵐美佐子(いがらし みさこ)
- 生年月日:1970年?(不明)
- 出身:東京都
- 職業:元プロサーファー
母の美佐子さんは、自身がサーファーだったことや、留学経験があることから、生まれ育つ土地をプレゼントしたいと考えるような、熱心なお母様です。
「英語がすごく好きで、自分自身、オーストラリアへの留学経験もあるのですが、どう頑張ってもネイティブのようには話せません。それで、子どもをアメリカで産んで、最低でも英語と日本語を話せる人に育てたいと思いました。子ども自身はどこで生まれて育つか選択できません。だから(生まれる土地を選ぶことが)、親として子どもに与えられるギフトだと思って渡米しました。そして、私たちがサーファーなので、生まれる前から、子どもにはできれば一流のサーファーになってほしいと願っていました」
五十嵐カノアの家族構成
カノア選手には、キヌアさんという弟がおり、4人家族です。
五十嵐カノアの弟
- 名前:五十嵐キヌア
- 生年月日:2003年5月12日
- 職業:サーファー
まとめ
カノア選手は幼少期からサーファーとしての才能を開花させており、見事にサーフィン界の貴公子として活躍されています。
カノア選手がこうして活躍する背景には、両親の努力や、良い家庭環境にもあったと考えられます。
パリオリンピックでの活躍にも注目です。
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